「リトルウィッチアカデミア」が教えてくれた大切なこと

 今回の記事で書く内容は書くべきなのかどうかすごく迷いましたが、やっぱりどうしても自分の中で消化しきれない思いがあったので、受験生とその家族の方々に向けてのメッセージという形で書かせていただきたいと思います。その過程で「リトルウィッチアカデミア」の第7話を引き合いに出したいと思います。

 受験生の皆さん、受験勉強お疲れさまでした。そろそろ国公立大学の合格発表も始まりましたね。合格された方も、合格とはいかなかった方もいると思います。

 今年私の妹が大学受験だったのですが、残念ながら第一志望だった国立大学には、合格できませんでした。その結果を受けて、第2志望だった私立大学に行くことになりました。

 このことに関して語るには、まず私自身のことについて少し語っておかなければなりません。私は幸運なことに、高校・大学受験に際して共に偏差値的にも比較的高い学校に進学することができました。これはもちろん自分が努力した結果ですし、誇るべきだと自負しております。こういう人生を歩んできたことが、自分の価値観の形成してきたように思います。また自分がここまで順風満帆に歩んできたことが、自分の家族の価値観を形成してしまったように思います。

 そのために私の妹は、すごく肩身の狭い思いをしてきたように思います。彼女は、高校に合格した時も、私が通っていた学校よりも少し偏差値的に低い学校だったということもあってか、2人目の受験だったということもあってか、私が合格した時ほどの祝福を受けませんでした。私自身も当時、そのような態度を取ってしまったように思いました。

 というもの、「頑張った」の基準が自分の物差しでしかなかったからなのです。私が自分が作り上げた物差しで、彼女を評価していたために、私は、彼女に「頑張らなかった」「頑張っていない」なんていうレッテルを張ってしまいました。

 そして、それから3年たった今年、彼女は大学受験を迎えました。彼女が第1志望にしていたのはとある国立大学でした。そしてそのために勉強していました。

 私の家は、それほど裕福な家庭ではないため、両親は「国公立大学に行ってほしい」と常々言っていました。彼女が国立大学を第1志望にしていた理由の最大の要因はこのある種の制約的なものだと思います。

 そして、受験勉強期間中彼女は大きな期待をかけられることになります。私が進学したところよりも難易度的に低いから当然合格するだろうなんて期待は当然両親から無意識的であってもかけられていたと思いますし、彼女もそれを感じていたと思います。そんな身に余る期待は重圧にしかなりません。

 また、私自身の受験期のころと比べられて、両親に「もっと勉強しろ」「もっと頑張れ」なんて言われながら、勉強を強いられていたようにも思います。私も、彼女に対して、自分が受験勉強をしていたころよりも勉強していないなあというだけで、「もっと頑張れよ」なんて表面上は激励にも取れるますが、裏を返せば、冷たい、突き放すような、残酷な言葉をかけていたように思います。

 彼女は、二番目の子の宿命と言えば、そうなのかもしれませんが、常に私と比べられて、私や家族から「頑張り」をちゃんと認めてもらえず、もう劣等感の塊のような人間になってしまっていたのかもしれません。そんなつらい時期にさらに降りかかった財政的な制約や大きすぎる期待が生んだ重圧が彼女をさらに苦しめました。

 そして、私立大学の合格発表の時期にそんな彼女を支えていた最後の細い柱までもが崩壊してしまいます。第2志望、言い方は悪いですが「滑り止め」的な志望ではありましたが、合格するのは容易ではない私立大学に彼女は無事合格しました。これはもちろん彼女なりに勉強してきた結果だと思います。

 しかし、両親も私も、その労を対してねぎらうこともせずに、第1志望の国立大学に向けての勉強を頑張れと冷たく突き放してしまいました。

 このことで彼女の心は壊れてしまったのかもしれません。それまでまがりなりにも頑張っていた勉強にも全く身が入らなくなってしまいました。そして勉強しなくなってしまったがために、一層「もっと頑張れ」「そんなので大丈夫なのか」といった言葉が家族から向けられることになりました。その結果、彼女は家族と衝突してしまいました。

 そしてある日、彼女は母親にこう告げました。「親不孝な娘でごめんなさい。『私立大学』に行かせてください。もうこれ以上は頑張れない。」と。

 母親はこの言葉を聞いて号泣したそうです。そしてその話を聞いた私も、今まで自分が彼女にしてきた何気ない言動がどれだけの重圧になっていたのかということをやっと悟り、涙が止まりませんでした。

 もしかしたら彼女はその私立大学に進学したかったのかもしれない、見えないプレッシャーが彼女に国立大学への進学を希望させたのかもしれない。そして、その大学に合格したことをもっと認められたかったのだと思います。私と比べられることで、勉強に関して、何一つ認められなかった彼女の辛さを我々家族は初めて知りました。

 自分を認めてくれないことが、どんなに辛いのか?

 これまで自分は教育を受けてきて、口では「他人を認めてあげることが大切」なんて意気揚々と言っていましたが、私は自分の家族の「頑張り」ですら認めてあげられなかった大馬鹿者だとやっと気づきました。「他人の価値観を尊重して」だとか「他人の気持ちになって考えよう」なんて口では言えても、一つも行動にはできていなかったのかもしれません。私は、結局自分の物差しでしか彼女を評価してあげられなかったし、両親も私の経験則ありきの物差しでしか彼女を評価してあげられなかったのです。

 そして、家族で話し合い、彼女は私立大学に進学しても良い、ただ国立大学の受験にも最後にトライしてみるという決断になりました。1週間ほどの残り期間でしたが、彼女は必死に勉強しました。

 結果的には、その国立大学に合格することはかないませんでした。その報告として、彼女からLINEのメッセージが届きました。

 「やっぱり駄目だった。まあ私は頑張れなかったから。」

 このメッセージを見た時、どう返してあげたらよいんだろうと私は真剣に悩みました。「私は頑張れなかった」という劣等感の塊のような言葉に私は怯んでしまったのです。

 そんな時に、「リトルウィッチアカデミア」という現在放送中のテレビアニメの第7話の終盤に登場したアーシュラ先生のセリフを思い出しました。

 落ちこぼれの魔女学校の生徒であるアッコは成績不良、問題行動が原因で校長から退学処分を言い渡されます。そんな時、アッコの担任であるアーシュラ先生は彼女をかばってこう告げます。

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©2017 TRIGGER 吉成曜「リトルウィッチアカデミア」製作委員会「リトルウィッチアカデミア」第7話より引用

 「比べるべきは他の生徒ではなく、入学当初の彼女です!!たくさん失敗して、確実に成長しているじゃないですか!!成績や世間体ばかり気にするなんて馬鹿です!!」

 このセリフは今の自分にすごく刺さったように思いました。そう結局、私は自分の妹を、自分の色眼鏡で見た結果でしか評価していなかったのです。

 だから、彼女の、彼女なりの頑張りをちゃんと評価してあげるとともに、今までの分も含めて合格祝いでも買ってあげたいと思います。

 「お前は頑張ってた。気づいてやれなかったけどちゃんと頑張ってた。自分以上に頑張ってたのかもしれない。だから合格できなかったことや自分比べることで劣等感を感じないでほしい。もっと自分を誇っていい。『私立大学』合格おめでとう。大学生活を充実したものにできますように。ささやかだけど合格祝いも贈るよ。」

〇受験生の皆さんへ

 ここまでは本当に、自分の今まで、そして今年起こったことを語ってきたにすぎません。私は、今回のこの出来事で本当に大切なことに気づかされました。

 認められるってことがどれだけ人にとって大きな意義を持つのか、逆に認められないことがどれだけ心に影を落とすのか。

 受験生の家族を持つ方は、合格発表でどんな結果が出たとしても、一緒に受け止めてあげてください。そして、合格とはいかなかったとしても、今までの「頑張り」を認めてあげてください。アッコにとってのアーシュラ先生になってあげてください。

 受験生の方々、受験勉強本当にお疲れ様です。いよいよ合格発表ですね。第1志望の大学に合格できた人、そうとはいかなかった人、いろいろな人がいると思います。

 合格した人はもちろんですが、合格とはいかなかった人へ。自分を誇ってください。自分の頑張りを自分で認めてあげてください。不合格で自分の人生が、自分の今までの頑張りが、今日までの過程がすべて否定されたなんて決して思わないでください。あなたはちゃんと頑張っていました!

 「結果」を評価することは簡単です。しかし「過程」を評価することは本当に難しいです。だから、他人は自分を「結果」で判断します。不合格は不合格以上の価値を持たないのです。しかし、自分にとっては違うと思います。自分にとってその不合格はもっと言葉以上の意味のある3文字ではないですか?だからその3文字に自分を否定されたなんて思わないでほしいし、「過程」を誇れるのは自分だけなのです。

 私の妹は、他人に認められなかった挙句に、自分で自分を認められなくなってしまいました。そんな風にどうかならないでください。

 どんなに他人から認められなくても、自分だけは自分のことを認めてあげて欲しいと思います。また、無用な劣等感を背負う必要はないと思います。私はこれを「甘え」だなんて思いません。

 自分の今までの「頑張り」を認めてあげたうえで、これからどうするかをまた考えてみてください。

 そして、最後に。皆さんは私のような自分の価値観でしか他人を評価できない大馬鹿者にはならないでください。他人を自分の色眼鏡を通してみるのではなく、ちゃんと見てあげてください。人の「頑張り」はその人の物差しで測られるべきです。

 私は、今回の経験で人として本当に大切なことを学ばされたように思います。特に受験生、受験生の家族を持つ方々に今回の経験を伝えたい思いでこの記事を書きました。少しでも伝わっていると嬉しいです。

 映画・アニメブログで全然関係のない内容を書いてしまいましたが、読んでくださった方ありがとうございます。
 
 




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