【ネタバレ考察】『君の名は』:秒速5センチメートルは確かな1歩だったのだ!

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『君の名は』についてお話していこうと思います。

試写会に2回も当選するという幸運のおかげさまで、新海誠監督の新作「君の名は」を公開日前に2回鑑賞することができました。

以下その考察を書いていきますので、良かったら最後までお付き合いください。

アイキャッチ画像:(C)2016「君の名は。」製作委員会 映画「君の名は。」予告編より

感想:新海誠監督の集大成だ!


映画「君の名は」は間違いなく新海監督の代表作となりうる作品である。集大成であり、最高傑作であり、彼が今まで描いてきたものに対する答えとなるアンサームービーなのです。

まず、新海誠監督作品がこれほどの大規模上映されるということに驚きです。というのも彼の前作「言の葉の庭」は30館程度の公開規模でしか上映されていません。

それが急に全国300館規模で公開というのだから驚くべきことです。これは新海誠監督をポスト細田守的な位置づけと、配給が捉えたからではないでしょうか?

新海誠と細田守の作風は全く違いますが、宮崎駿が一線を退いたこともあり、日本で毎年安定した興行収入を叩きだせる監督が必要になりました。

細田守は「バケモノの子」で興行収入60億円級のヒットを叩きだし、我こそはと名乗りを上げています。しかし、1人のクリエイターがオリジナルアニメを毎年製作することは不可能に近いです。

となると2人3人とそういったクリエイターが必要になって来るわけです。新海誠は今回そのポジションに指名されたのでしょう。となると今回の「君の名は」は彼にとっての登竜門となって来ます。

急激な上映館の増加は期待の大きさの表れであると同時に失敗は許されないことも意味する。しかし、今回のこの作品を見て、私はその高いハードルを軽く飛び越えてくると確信しています。それだけ素晴らしい作品でした。彼はスターダムへの第1歩をこの作品とともに踏み出すことでしょう。

「君の名は」は確かにこの作品単体として見ても素晴らしい作品であることに間違いない。しかしこの作品を100%楽しむために彼の過去作品をチェックしておくことは必要不可欠だと考えています。

というのも最初に述べたようにこの作品は彼のアンサームービーなのです。つまり、彼がいままで我々に問いかけてきたものが何たるかを知る必要があるのです。

あらすじ・概要

「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、男女の心の機微を美しい風景描写とともに繊細に描き出すアニメーション作品を手がけ、国内外から注目を集める新海誠監督が、前作「言の葉の庭」から3年ぶりに送り出したオリジナル長編アニメ。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などで知られる田中将賀がキャラクターデザインを手がけ、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などスタジオジブリ作品に数多く携わってきた安藤雅司が作画監督、主題歌を含む音楽を人気ロックバンドの「RADWIMPS」が担当した。国内興行ランキングでは公開から29週連続でトップ10入りを果たし、興行収入250億円を超える歴史的な大ヒットを記録。第40回日本アカデミー賞ではアニメーション作品として初の最優秀脚本賞を受賞した。1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。声の出演は瀧役に神木隆之介、三葉役に上白石萌音。その他、長澤まさみ、市原悦子らが出演。(
映画com.より引用)

予告編

新海誠監督作品の紹介と解説

『ほしのこえ』

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©Makoto Shinkai 「ほしのこえ」より引用

まずは「ほしのこえ」という作品から触れていきたいと思います。この作品は新海監督がその大部分を1人で作り上げたインディーズアニメとして話題になりました。

この作品は地球に残された昇と遥か宇宙のかなたで異生命体、タルシアンとの戦いを繰り広げる美加子のメールのやり取りをメインとして展開されていきます。まだ粗削りながらも斬新なアイデアとキャラクターの心情表現の細かさが印象的です。

 

 


この作品のキーワードは「時間」です。メールが届くのに1年ないし8年もかかるという2人の葛藤やすれ違いが繊細なタッチで描かれ、その途方もない時間が強調されています。

後半部でこの作品については重点的に触れて行くつもりです。というのもこの作品が今回の「君の名は」と最もリンクする作品だからです。ここではまだ触れませんが、「君の名は」を見る前に最もチェックしておいてほしい作品の一つです。

『雲の向こう、約束の場所』

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©Makoto Shinkai 「雲の向こう 約束の場所」より引用

続いては「雲の向こう、約束の場所」という作品に触れていきたいと思います。この作品は新海作品の中で最も難解であると言われる作品です。個人的にも考察はしてみましたが、かなり考察の幅も広いと思います。

大筋は主人公の浩紀が、寝たきりのヒロインの佐由理を救うため、航空機を飛ばし「塔」へと向かうというものです。この作品の結末は小説版で補完されているので、そちらもぜひ読んでみてほしいと思います。

吉岡秀隆
コミックス・ウェーブ・フィルム
2008-04-18

 


この作品のキーワードは「空間」です。アニメ版のラストはかなり切ないものとなっているが、この2人はその意識が全くの別空間にあるという状況で葛藤することになります。途方もない「空間」を隔てた2人の悲恋が生き生きと描かれた名作です。

『星を追う子ども』

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©Makoto Shinkai 「星を追う子ども」より引用

続いては「星を追う子ども」という作品です。この作品は正直新海作品の中でも異色の作品で、ジブリに影響を受けた感が否めない内容となっています。

しかし、この作品の世界観や舞台美術は「君の名は」に非常に類似しているように思います。この作品で生かしきれなかったそういった要素たちが、新作「君の名は」では見事に昇華している様が見て取れます。

金元寿子
メディアファクトリー
2011-11-25

 


この作品のキーワードは「生と死」です。生と死は究極の距離だと思います。なぜなら絶対にもうすれ違うことも接することもない最大距離だからです。しかし、この作品ではそんな禁忌を超えてまでも、大切な人と交わろうとする人物たちの葛藤が描かれています。

『秒速5センチメートル』


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©Makoto Shinkai 「秒速5センチメートル」より引用

続いては「秒速5センチメートル」です。この作品も「ほしのこえ」と並んで「君の名は」に最もかかわりの深い作品の一つです。

『秒速5センチメートル』は都市や田舎の美しい背景美術の中で、2人の成長と恋模様をほろ苦いテイストで限りなくリアリティを追求する形で描いた意欲作です。またコスモナウトで描かれた空や星の描写は間違いなく新作にも反映されています。

花村怜美
コミックス・ウェーブ・フィルム
2008-04-18


この作品のキーワードは「距離」です。2人の男女、貴樹と明里が両想いだったにも関わらず、成長とともにお互いに物理的な距離ができていくとともにだんだんとすれ違っていくというストーリーに仕上がっています。

この作品についても後ほど詳しく解説することとします。

『言の葉の庭』

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©Makoto Shinkai 「言の葉の庭」より引用

最後に「言の葉の庭」です。おそらくこの作品はあまり新作に関係してこないように思うので紹介のみで。ただこの作品を見ておくと、新作「君の名は」で少しアッとなる小ネタがあるので見ておいてもよいでしょう。(先生とかね)

 

この作品のキーワードは「孤独」です。都会の喧騒の中、心の内でどこか孤独を感じ、孤独を求める2人の男女がそれを乗り越えて心を通わせようとする物語になっています。

ここまでざっとではありますが新海作品を(彼女と彼女の猫を除く)紹介させていただきました。ぜひ全作品、時間がない方は「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」だけでもチェックしてから劇場に足を運んでほしいと思います。

これはこれまでの新海作品に対するアンサームービーだ!

ここまで解説してきましたが、新海作品で一貫して描かれてきたのは男女が大きな障壁を前にしてどのように関わり合い、交わり、そしてすれ違うのかということです。

秒速5センチメートルで、「心は1センチも近づけなかった」という印象的なセリフがあります。人間の心や思いが近づき、触れあうということがいかに難しいことなのか、それを彼は美しい自然描写の中で、都市の喧騒の中で、壮大な宇宙の中で、非常にリアリティを持って我々の前に突き付けてきたのです。

彼の作品が評価される理由の一つはそういうリアリティを追求するところにあります。スマートフォンの描写や料理の描写、都市の描写。どれをとっても非常に我々が住む世界を忠実に反映しています。だからこそ彼の作品は鑑賞する者をその作品の中に内包し、追体験させるかのような錯覚をさせるのです。

今回の作品はそんな彼が問い続けた、人間の心は結局すれ違い続けてしまうのか?という問いに対する1つの答えを提示してくれます。

彼が作り出した壮大な人間賛歌をこの夏ぜひとも多くの人に劇場で体験してほしいと思います。またこの作品は3.11の東日本大震災を踏まえて作られていることも忘れてはなりません。のちに解説を加えるが、巨大災害に対するクリエイターらしいメッセージが込められています。


ここからはネタバレありで内容に踏み込んだことを書いていきます。

まず、私がこのキービジュアルを最初に見たときに目についたのが流星です。2つに分かれる流星。これは2人のすれ違いと決別を暗示しているのではないか?と勘ぐってしまった話です。また新海監督が男女のすれ違いを描いてくるのであろうと。

しかし、それは大きな間違いでした。彼が描きたかったものは単なる男女の心のすれ違い、決別ではなく、その先にあったということです。

この物語の終盤、すれ違うかに思われた瀧と三葉は劇的な出会いを果たします。それは「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」のまさにアナザーストーリー、ハッピーエンドエディションといって良いでしょう。

こんな終わり方をすると、新海誠作品を今まで見てきた人が、こんなのは新海作品じゃない、一般受けを狙ってるなんてことを言うかもしれない。しかしそんなことを言う人は今まで新海作品の何を見てきたんだ?と言いたくなります。

「ほしのこえ」のラストは昇と美加子が「私はここにいるよ」とお互いがお互いに思いをはせながらエンドロールを迎えています。これは確かに悲しく、切ない終わり方だと思います。

しかし、新海監督は時間も距離も空間も生と死の境も超えて2人の心が交わることができるのではないか?という含みをこのラストに込めていたような気がします。

結果的に昇と美加子は再会を実現できませんでした。また「秒速5センチメートル」では、そのラストで貴樹が明里の影を探して走り回るも結局その姿を見つけることはできなかった、という終わり方をしています。

新海監督はこういった題材を取り上げてきたにもかかわらず、実は処女作で示唆していたように、人が障壁を乗り越えて心を通じ合わせるその瞬間を描きたかったのではないだろうか。つまり、たとえメールの受信に8年かかったとしても、心の近づく速さがたったの秒速5センチメートルだったとしても、それは確かな1歩であり、最終的に人は通じ合うことができるということを伝えたかったのではないでしょうか。

これこそが新海監督が伝えたかった本当のメッセージなのではないでしょうか。だから今回のハッピーエンドを見て、安易な批判をしないでほしいと思います。むしろ私はこのラストこそが新海監督がずっと探し求めてきたものだと考えています。

映像的な素晴らしさ

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©Makoto Shinkai 「秒速5センチメートル」より引用

桜と踏み切り。今回の作品でも登場する舞台装置です。特に踏切や電車というモチーフは新海作品でたびたび登場するモチーフです。

これは人の心が交錯し、すれ違い、停滞するといった心の動きのメタファーととらえられます。『秒速5センチメートル』では閉じた踏切とすれ違う電車が桜が落ちる秒速5センチメートルでの速さながらも近づこうとした貴樹の思いが結実しなかったということを示唆していました。

しかし、今作『君の名は』では、桜の舞う都市の一角で瀧と三葉は再会します。これはまさに秒速5センチメートルの思いの結実であったと同時に、人の思いの無限の可能性が提示された瞬間であったように思います。

このシーンをあえて「秒速5センチメートル」とほぼ同じ背景描写でやってのけたところがまた憎い。新海作品を見てきた人なら誰しも涙を禁じ得ないラストシーンであったことは間違いないでしょう。

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©Makoto Shinkai 「言の葉の庭」より引用

もう一つ新海作品において重要なモチーフを解説しておきたいと思います。それは雨の描写です。

これはほとんどすべての作品で登場しているように思うし、新作「君の名は」にももちろん登場しました。新海監督の雨の使い方は、まさに「雨降って地固まる」的な使い方であるように思います。

人は雨に対してネガティブなイメージを持っているでしょう。確かに作中でも雨が降るのは決まって登場人物が苦しみ、悩み、葛藤するシーンです。しかし雨はそういうネガティブなものの象徴であると同時にそれらのものを洗い流してくれる役割があると思います。

新海監督は雨を美しく描くことにこだわって来たアニメ監督です。それはひとえに雨の浄化作用的要素を引き立てるためではなのでしょう。それゆえに、新海監督が描く雨のシーンでは、雨と人物のコントラストが絶妙なのです。雨が清く澄んで見え、淀んだ人間の心から苦しみや悲しみを洗い流していくかのように描かれています。


 

新海誠作品の小ネタ

ここからは小ネタに触れていきたいと思います。

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©Makoto Shinkai 「言の葉の庭」より引用

みなさんお気づきですよね?(笑)これは言の葉の庭に登場する百香里先生でCVは花澤香菜さん。そして今回の「君の名は」で三葉たちの高校で古典の先生をしているのが、花ちゃん先生でCVは花澤香菜さん。これは完全にオマージュネタです。

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©Makoto Shinkai 「星を追う子ども」より引用

さてこれらのアートワーク。これは「君の名は」からの抜粋ではありません。これらは「星を追う子ども」からの抜粋です。非常に似てますよね?正直三葉の住む飛騨の糸山の世界観はこの作品の世界観を色濃く反映したものだと思います。「生と死」というキーワードが出てくる点もそっくりです。

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©Makoto Shinkai 「秒速5センチメートル」より引用

秒速5センチメートルで重要な役割を果たした舞台装置、歩道橋は「君の名は」においても大活躍でした。このシーンはそっくりそのままセルフオマージュ要素だなと感じました。

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©Makoto Shinkai 「ほしのこえ」より引用

先ほども述べましたが「ほしのこえ」のラストは、2人が「ここにいるよ」と思いを口にするシーンで終わる。これは「君の名前は!」で終結する今回の作品に対応しているように感じられます。

他にも新海作品を見てきた人の心をくすぐるような演出が散見されました。こういった要素を楽しむためにも過去作の鑑賞は重要です。

考察:震災後の映画としての文脈

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(C)2016「君の名は。」製作委員会 映画「君の名は。」予告編より引用

最後に触れたいのはこの作品が3.11の東日本大震災を踏まえたものであるということです。今年の7月29日に公開され話題となっている「シンゴジラ」。あの作品も未曽有の巨大災害を踏まえたうえで作られていました。

『シンゴジラ』のアプローチは、災害や原発事故と言った事象を人ごとのようにとらえるのではなく、常に正面から向き合っていかなければならない、まだ終わっていないんだというものでした。一方で「君の名は」のアプローチは非常にクリエイターらしいものでした。その点を評価したいと思います。

我々は3.11の地震が起きたのは東日本である、原発事故が起きたのは福島である、とそれくらいのことは無意識のうちに知っています。しかし、地震が起きた街にどんな生活があったのか、どんな建物があったのか、どんな文化があったのか、街の名前は何だったのか。そんなことまで知っている人が果たしているでしょうか

主人公の瀧は、三葉との入れ替わりを経て、実際に流星が落ちた場所に行くまで、その町の名前でさえも忘れてしまっていたのです。また周辺の町の人でさえも、もはやその町の姿を覚えていないのです。

こういった点がリアルに記憶の年月による風化を表現しています。新海監督が着眼したのはそんな記憶の風化なのでしょう。

「君の名は」の終盤で、瀧が就活の面接を受けている場面がありました。瀧は建設系の企業の面接を受けていて、その際に志望動機を次のように説明していました。

「自分は人々の記憶に残る建物を作りたい。いつかどんな建物も風化していく、それでも人の心に残るような…」

これはまさに新海監督の思いの投影ではないでしょうか。未曽有の巨大な災害を風化させてはならない、だからクリエイターとしてそれを人々の記憶に残す形で描き続けていくことが大切なのだと。これも一つの震災との向き合い方であります。広島長崎に落とされた原爆が、日本に核兵器を使わせない抑止力であり続けたのは、ひとえにあの記憶が風化しなかったからです。

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(C)2016「君の名は。」製作委員会 映画「君の名は。」予告編より引用

人から人へ伝わり、さまざまな情報媒体、芸術作品を通して現代へと脈々と伝えられてきた原爆の恐怖。ここからも記憶を風化させないことの重要性は明らかです。この作品には、彼の震災に向き合う1クリエーターとしての覚悟がうかがえました。

また新海作品には「震災」前後で大きなプロットの変化がみられます。彼が「ほしのこえ」~「秒速5センチメートル」までで描いてきたのは、葛藤や悩み、苦しみそんな中にわずかながらに輝く「希望」でした。しかし震災後の「言の葉の庭」、新作「君の名は」では彼は明確で絶対的な「希望」を打ち出してきました。

新海監督は「君の名は」のインタビューで、「この作品で少しでも世界が良くなればと思って製作した。」とおっしゃっていました。この言葉はまさに「震災」後の新海作品に内包された思いであります。

震災で多くの命が失われた。そんな悲惨な状況にあっても人は希望を捨てずにはいられない。そんな希望を、絶対に揺るがない明確な希望を彼は作品の中で描いていこうとしているのではないか。これも「震災」後の作品に垣間見える新海監督のクリエイターとして「震災」に向き合う覚悟であるように私は思いました。

最後に今回の挿入歌の一つについて触れておきたい。今回の挿入歌、劇伴を担当したのはRAD WIMPSです。

新海作品において音楽は切っても切り離せない重要要素です。今回も素晴らしい曲たちが並んでいる。その中でひときわ輝くのが「なんでもないや」、本編のラストに流れる挿入歌でしょう。

この曲は新海監督の新旧作品を繋ぎ、この作品のテーマを体現するまさにアンサーソングの側面を持ち合わせています。この曲の歌詞に注目したいと思います。

「僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ」(「なんでもないや」RADWIMPSより引用)

この部分の歌詞は今までの彼の作品を否定するのではなく、それを超越しようとしているように感じました。

「かくれんぼ、はぐれっこ。」まさに彼が今まで描いてきた切ないかくれんぼ、はぐれっこ。それを超越したところに彼は今回の新作「君の名は」を着地させる。新海作品を追いかけてきた人でこの曲を聴いて涙をこらえることができる人はいるのでしょうか?

これらのことを踏まえても今回の作品で新海監督がハッピーエンドを選択したのは、単に大規模公開だからとか一般向けだからという安直な理由ではないことはわかっていただけるでしょう。だからこそ、この作品をそんな風に批判しているのを見たなら、私はその人に言いたい。「お前はいったい何を見てきたんだ?」と。

長々と述べてきたが、この作品のすばらしさを語りつくすことはできません。ただこの作品は見る価値のある、シンゴジラと並んで今年、日本人が見ておくべき映画作品の一つであることは間違いないでしょう。

我々は震災の記憶を風化させてはならないし、たとえ秒速5センチメートルのスピードでも前に進んでいかなければなりません。それは本当にわずかだが、その1歩は確かなものです。人間の無限の可能性を感じさせる新海監督の人間賛歌、「君の名は」。ただただその圧倒的なクオリティに脱帽です。

おわりに

いかがだったでしょうか。かなり長い記事になってしまいました。

映画が公開され、250億円超の興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなり、高い評価を獲得した『君の名は』。そんな新海誠監督の次回作が楽しみですね。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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