【ネタバレ】映画「ローガン」解説・考察:ローガン・イズ・ヒストリー

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画「ローガン」についてお話ししていこうと思います。

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記事の都合上作品のネタバレを含みますので、ご了承ください。

良かったら最後までお付き合いください。




あらすじ・概要

 「X-MEN」シリーズを代表するキャラクターで、ヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリン/ローガンを主役に描く「ウルヴァリン」シリーズ第3作。不死身の治癒能力が失われつつあるウルヴァリンことローガンが、絶滅の危機にあるミュータントの希望となる少女を守るため、命をかけた壮絶な最後の戦いに身を投じる様を描く。ミュータントの大半が死滅した2029年。長年の激闘で疲弊し、生きる目的も失ったローガンは、アメリカとメキシコの国境付近で雇われリムジン運転手として働き、老衰したプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアを匿いながら、ひっそりと暮らしていた。そんなある日、ローガンの前にガブリエラと名乗る女性が現れ、ローラという謎めいた少女をノースダコタまで連れて行ってほしいと頼む。組織に追われているローラを図らずも保護することになったローガンは、チャールズを伴い3人で逃避行を繰り広げることになるのだが……。監督は、シリーズ前作「ウルヴァリン:SAMURAI」も手がけたジェームズ・マンゴールド。プロフェッサーX役のパトリック・スチュワート、物語の鍵を握る少女ローラ役の新星ダフネ・キーンが共演。
映画com.より引用)

予告編

解説と考察:ローガン・イズ・ヒストリー

“History”という英単語を聞くと、小学生ないし中学生の頃から英語を外国語として勉強し始めた我々はおおよそ「歴史」という意味を想像する。確かにこの英単語の意味は「歴史」である。日本では、「歴史」という言葉にはポジティブなイメージを持つ人が多い。旅館や料亭が「歴史」のある旅館、「歴史」のある料亭などと形容されることは誇らしいことである。「歴史」があればあるほど、価値が高まるというのが、日本における価値観であり、一般的な認識なのである。

一方で英語圏、とりわけアメリカでは、この“History”という単語は、ネガティブなイメージを孕むこともしばしばである。「過去のこと」「時代遅れのもの」「過去の人」「忘れ去られてしまった過去」というニュアンスを伴って用いられるのだ。1776年に建国され、まだ「歴史」が浅いアメリカならではの語法とも言えるだろうか。

ローガン・イズ・ヒストリー

ローガンは今や「過去の人」となった。2029年の世界には、X-MENもミュータントたちももはや生存していない。彼らの時代は終わったのである。彼らが世界を守るために命を賭して、繰り広げてきた戦いは、もはやコミックスの中に閉じ込められ、「フィクション」として市民権を獲得している。娯楽として親しまれ、消費されているのだ。

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

現実の世界で、ローガンはしがない運び屋をしている。かつて「ウルヴァリン」としてアメリカ中から英雄と讃えられてきた男は、安銭で客を運び、「運転手」と呼ばれる。「ウルヴァリン」はもうヒストリーであり、コミックスの中にしか存在しない。不死身の能力を失いかけ、老いて、闘志すらも消えかけているローガンなどという男の居場所はこの世界のどこにも残されていないのだ。

映画「ノーカントリー」の原題”No Country for Old Men”の引用元であるアイルランドの詩人W・B・イェイツ(1865~1939年)の詩「ビザンチウムへの船出」の冒頭には、こんなことが書かれている。

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それは老いたる者たちの国ではない。
恋人の腕に抱かれし若者たち
樹上の鳥たち
その唄と共に、死に行く世代たち、
鮭が遡る滝も、鯖にあふれた海も、
魚も、肉も、鶏も、長き夏を神に委ね
命を得たものは皆、生まれ、また死ぬのだ。

 我々の生きる世界には、寿命という命のリミットが存在している。だからこそ人は老いれば、そのうちに死を迎え、この世界に居場所を失う。有限性が支配するこの世界は「老いたる者たちの国」ではないのである。「老いたる者たち」に居場所はないのだ。

「命を得たものは皆、生まれ、また死ぬのだ。」というのがこの世界の法則だ。これは人間や動物、生きとし生ける全ての生き物に適用される。もちろんミュータントとて例外ではない。かつて最強のミュータントと謳われたローガンにも避けられない老いと死の足音が迫ってきている。

ビザンチウムとは、東ローマ帝国の首都でかつて芸術の都と呼ばれた都市である。イェイツはそんな地上の楽園ビザンチウムに死後のユートピアを見出していたのであろうか。「ビザンチウムへの船出」とは老いて、そして死した者が死の世界へと旅立っていくさ様を表現しているようにすら感じられる。

 そしてローガンもまた自分の居場所を求めていた。「太陽号」と呼ばれる彼が夢見る船舶は作中に登場こそしないが、彼の心をとらえて止まない。「太陽号」に乗れば、全てが救われる、楽になれる。そんな妄信的な信奉すら付き纏っている一隻の船は、彼にとっての漠然とした希望だったのだろう。この世に居場所を失い、死に場所を求める男の最後の居場所が「太陽号」だったのだ。イェイツの詩に綴られたビザンチウムとローガンが思い描く「太陽号」は近似性を孕んでいる。

死に惹かれる男の姿に、ある詩をふと思い出す。ロバート・フロストが著した”Stopping by Woods on a Snowy Evening”だ。生きるのに疲れた男が甘美で、安堵に満ちた死へと惹かれていく様が描かれているように感じられる詩だ。この詩が「死への誘惑」を描いているのかどうかという点には諸説あるが、私はその解釈に好意的である。

 Whose woods these are I think I know.
 His house is in the village though;
 He will not see me stopping here
 To watch his woods fill up with snow.
 My little horse must think it queer
 To stop without a farmhouse near
 Between the woods and frozen lake
 The darkest evening of the year.
 He gives his harness bells a shake
 To ask if there is some mistake.
 The only other sound’s the sweep
 Of easy wind and downy flake.
 The woods are lovely, dark and deep.
 But I have promises to keep,
 And miles to go before I sleep,

 And miles to go before I sleep.

死は甘美で、心地よい眠りのようなもので「彼」はそこへ誘われるのだが、「約束」のために歩き続けなければならない。「約束」のために生きることからドロップアウトすることができないのである。

この「彼」はまるでローガンである。アダマンチウムの弾を銃に込め、頭を撃ち抜けば、楽になれるという欲望が何度彼の頭を過ったのだろうか。しかし、それをすることは許されない。彼にはまだは果たすべき使命が残されている。ローラをノースダコタに送り届け、チャールズを守る。老いた男の最後の使命だ。そのために彼は旅を続ける。あと数マイル。あと数マイル。まだ死ねない。まだ死んではならない。

 And miles to go before I sleep,

 And miles to go before I sleep.
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しかし運命というものは残酷である。この残酷な世界は、彼に「お前の居場所はない」という事実を深く突き立てる。ローガンが唯一父親と呼べる存在だった、彼に「恵まれし子らの学園」という居場所を与えてくれたエグゼビアを彼から奪い取っていく。さらには、一晩の居場所になったカントリーサイドの温かい家族の命をも奪い去る。もはやローガンに居場所はない。

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

ローガン・イズ・ヒストリー

この世界は彼を排気口から排出してしまおうとしている。ローガンもそれを望んでいる。だが、それは許されない。彼にはまだローラという少女がいる。奇しくも自分の遺伝子を分けたアダマンチウムを体内に宿す少女だ。

 そして彼の旅は続き、とうとうカナダ国境にまでたどり着く。ローガンが目覚めると荒野にポツンと車が置かれている。「道」と呼べるところから外れ、もはや進む先を失ったその車は、ローガンの旅が終着点に到達したことを視覚的に示している。ここが彼の死地であると。皮肉にもカナダで生まれた男の死地はカナダの国境を目前に控えた場所であった。

ローガンは血清を惜しみなく、打ち込み最後の戦いへと向かう。老いたヒーローの最後の輝きは、若かりし頃のウルヴァリンの姿をだぶらせる。もはや能力は衰え、不死身ではない。打ち込まれた銃弾の痛みをじりじりと感じながら、それでもかつてのように銃弾に怯むことなく戦う。人に暴力を行使することの痛みを、人を殺すことの重みを背負って戦うローガンはもはやヒーローではなく、1人の男であった。彼は今や「痛み」を知っている。

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

X-24との死闘の末、彼は最期の時を迎える。それを看取ったのは彼の遺伝子を受け継ぐローラだ。甘美で、穏やかで、高揚感のある死の感覚に一瞬包まれたかと思うと、ローガンは静かに動かなくなった。

そんな彼を見て、ローラは「お父さん」と呟く。ローラはこの世界における彼の最後の居場所だったのである。世界から忘れられた英雄は、1人の少女の「父親」として最後の最後で必要とされたのだ。

ローガン・イズ・ヒストリー

ウルヴァリンは過去の産物であり、今やコミックスにしか存在しない伝説の男だ。彼は2029年にはもういない。人々はいつしか彼が実在していたことすら記憶の片隅へと追いやっていくことだろう。それでもローラだけは忘れない。彼がコミックスの中ではなく、2029年に生きていたことを。X-MENが実在していたことを。

そんな彼女は去り際に彼の墓に立てられた十字架を「X」の文字にする。ウルヴァリン達が築き上げてきたX-MENの一時代がここに完結した。その最後の男が死んだからだ。しかし、X-MENが紡いできた「正義の心」は死んでいない。カナダへと去っていく子供たちはその心を受け継いでいる。

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

「人は変われない。人を殺したら元には戻れない。たとえ正しくても殺人者としての烙印を押されて生きていく。」

 正義とは、善なる目的のために人を殺めることなどではない。正義とは、殺人者の烙印を背負う覚悟をすることだ。それこそがローガンが命を賭して紡いだ最後の教えだったのだろう。

おわりに

なんと凄まじい映画なんだろうか。

映画を見終えた後に、思わず圧倒されて身動きが取れなくなった。

これを映画館で見れていたら、エンドロールで意識が飛んでいたかもしれない。

アメコミヒーローのスターダムを駆け上がったローガン/ウルヴァリンという男の壮絶な最期。アメリカンドリームの1つの終焉を見ているようですらあった。

 酔いしれていた夢から覚めて、現実と向き合わされる時に感じる純然たる恐怖感がこの映画には宿っている。人間が生きる上で避けることのできない老いと死の法則からヒーローですら逃れられないという脱構築は、ヒーローという存在と人との境界線すらアンビギャスなものへと変貌させる。

それが現実なのだと言わんばかりにだ。

X-MENが魅せてきた夢の終焉がこの映画には色濃く漂っている。ただ同時に本作は継承の物語であり、ここから新たな夢が始まっている。

 映画「ローガン」はローガンを過去のものにしたのではなく、永遠のものにしたのだ。生ける過去の英雄が、死して永遠となったのである。

エデンと聞くとこれまたロバート・フロストの有名な詩を思い出す。”Winter Eden”で、邦題は「冬のエデン」だ。

A winter garden in an alder swamp,
Where conies now come out to sun and romp,
As near a paradise as it can be
And not melt snow or start a dormant tree.

 

It lifts existence on a plane of snow
One level higher than the earth below,
One level nearer heaven overhead,
And last year’s berries shining scarlet red.

 

It lifts a gaunt luxuriating beast
Where he can stretch and hold his highest feat
On some wild apple tree’s young tender bark,
What well may prove the year’s high girdle mark.

 

So near to paradise all pairing ends:
Here loveless birds now flock as winter friends,
Content with bud-inspecting. They presume
To say which buds are leaf and which are bloom.

 

A feather-hammer gives a double knock.
This Eden day is done at two o’clock.
An hour of winter day might seem too short
To make it worth life’s while to wake and sport.

エデンの園と聞くと緑に包まれた楽園を想起するだろう。ただフロストが表現したエデンは真っ白な雪模様だ。しかし、詩のあちこちには春の息吹が感じられる。昨年は赤かったベリーが今年も真っ赤に実をつけるだろうか?蕾たちは春を待ちわび、その花開く時を待ちわびている。

 この詩はまさに「復活」の詩なのである。生命が息をひそめる冬のエデンは、今か今かと春の「誕生」を待ちわびているのである。

エデンとはあらたに生を授かる場所とも言えるかもしれない。ローガンはエデンで、確かに命を落としたが、彼はこの映画を見た全ての人の心の中に復活し、生き続けるのだ。

ローガン・イズ・ノット・ヒストリー

ローガン・イズ・イン・ユア・マインド

映画『デッドプール2』が盛大に『ローガン』オマージュを敢行し、『デッドプール』らしいメッセージを打ち出しました。良かったらその解説記事を書いておりますので、読みに来てください。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。




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