【ネタバレ考察】映画「ムーンライト」は日本では受けないんじゃないだろうか?

アイキャッチ画像:©2016 A24 Distribution, LLC from “moonlight” official trailer 

イントロ

みなさんこんにちは。ナガと申します。

本日、映画「ムーンライト」を見てきました。 いよいよ本年度のアカデミー賞作品賞受賞作品が日本に上陸しましたね。今回の記事では、本作の魅力とこの映画が日本で受けないのではないか?ということについて考えてみたいと思います。

あらすじや概要に関しては先日投稿した記事ですでに触れているので今回は省略させていただきます。また、本作の映像がなぜこんなにも美しいのか?ということに関して技術的な面からの解説記事も投稿しておりますので、良かったら下のリンクから読んでいただけたらと思います。

参考:【解説】映画「ムーンライト」なぜこんなにも映像が美しいのか

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解説1:大胆な映画構成について

皆さんはお気づきになられたでしょうか?本作は3つの章から構成されていました。1つ目から「Little」「Chiron」「Black」の3つの章に分かれていました。そして映画をご覧になった方はお気づきになったと思うのですが、本作ではそんな章と章の間に非常に大きな出来事が起きているんですね。

まず第1章と第2章の間には幼少期のシャロンの心の支えとなっていたマハーシャラ・アリ演じる麻薬の売人フアンが亡くなっていますよね。

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第1章で非常に重要な役割を果たしていたにもかかわらず、死因も大して語られることなく、そしてその死に第2章で明確に触れられることはありません。どこか寂しい雰囲気を漂わせる不安のガールフレンドのテレサと母ポーラが「葬式」という言葉を出すことから彼の死を我々は悟るのですが、重要キャラクターの死としてはあまりにも淡々と描かれすぎていますよね。

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そして、もう1つですが第2章と第3章の間でシャロンが少年院に収容されていたという部分は全く描かれてませんよね。ただ、シャロンの口から終盤に「少年院に入っていてそこで麻薬の売人としてのし上がった。」ということだけが明かされます。

彼が麻薬の売人になった経緯がそこにあったことから鑑みても彼の人生において、少年院の時期というのは間違いなく重要なものでしょう。

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各章の間にこれだけの大きな出来事があっさりと片づけられてしまっているんですね。

皆さまはこういった映画の構成に関してどう思われますか?

一人の人間の半生を追うドキュメンタリーを撮影するとするならば、「恩人の死」、「少年院での人生の転機」なんてことはまさしく人生のハイライトですよね。大きくクローズアップされるべき出来事だと思います。

また、2014年にはリチャード・リンクレイター監督が「6歳のボクが、大人になるまで。」という映画を発表しましたよね。この映画は主人公のメイソン・ジュニアが6歳から18歳になるまでの12年間を断続的に撮影し、映画にしたものです。私はこの作品は良い意味で映画っぽくないなあと感じるんですね。

それはやはり特に大きな山があるわけでもなく、淡々と時間の流れを感じさせるように人生の瞬間、瞬間を切り取った作品だからです。映画っぽいというよりも、一つ一つの経験の積み重ねであり、蓄積なんですね。

一方で、この「ムーンライト」という映画はすごく映画っぽい作品なんですね。シャロンの半生を反ドキュメンタリー的にリアリティスティックに見せてやろうというよりも、シャロンという男の半生をあくまで映画のプロットとして作り上げ、それを見せてやろうという姿勢が感じられます。

だからこそ人生におけるハイライトともなりうるような大きな出来事を2つもスキップするなんていう荒業ができてしまうのです。

「恩人の死」も「少年院での人生の転機」も人生においては大きなことでも、映画においてはプロットの一部にすぎないんです。しかし、それを完全に無視しているかと言われたらそうではないですよね。2つの大きな出来事は間違いなくシャロンの人生に大きく影響を与えています。

それは第3章でのシャロンのたたずまいからも感じる事ができますよね。フアンを思わせる帽子や売人としての彼の言動、母親を抱きしめる姿が、その2つの出来事がいかに彼の人生において大きな出来事であったのかを物語っています。

本作がシャロンの人生を描くというよりも、シャロンの感情や愛に焦点を当てた作品であったことからも、この2つの出来事をあえて明確に描かなかったという決断は尊重されるべきだと思いますし、これが「映画的な」映画なんですよ。

解説2:オープンで普遍的な作品性

本作はご覧になればわかるようにさまざまな社会問題を内包していますよね。人種問題、LGBT問題、薬物、貧困、母子家庭、虐待、いじめと挙げていくときりがありません。

この作品がアカデミー賞作品賞を受賞した時、これはトランプ大統領に対するハリウッドからのメッセージだ!!なんて言われていたのを覚えていますでしょうか。確かに本作が扱っている題材が、トランプ大統領によって差別的に扱われている人々であるということは間違っていません。

しかし、本作にはそんなメッセージ性は全く込められていないんですよ。数多くの社会問題を内包しながら、そのどれに対しても反抗的で説教クサいメッセージを発信していないんですね。

この開かれた作風が私はたまらなく好きなんですね。シャロンの半生を描くことでLGBT問題や人種問題に提言してやろうということではなく、ただ純粋にシャロンの苦悩と成長と、そして愛を描いてやろうというスタッフの心意気に感銘を受けました。

こういう風にブログを書くために、映画を批評家的視点で見てしまうのですが、その時に常に頭をよぎるのはこの作品が「どんな社会的意義を持つのか?」や「現代社会に対してどんなメッセージ性を孕んでいるのか?」といった類の視点なんですね。これは間違いなく重要な視点ではあります。

しかし「ムーンライト」という映画を語る際にそういった視点は必要ないのかもしれないと思ったのです。

この作品が持つ最大の魅力は間違いなく「普遍的な愛」だからです。人種やLGBTやその他の社会問題は関係ありません。ただ純粋に「愛」を描いているだけなのです。

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そしてもっと言うなれば、本作は「愛」の何たるかにすら言及しません。この映画は、シャロンとケヴィンが肩を抱き寄せ合っているシーンで幕を閉じます。そこにはただ「愛」があるのみです。ただあるだけで、観客に何を主張してくるわけでもありません。そこにあるだけなのです。ただその開かれたエンディングがたまらなく素晴らしいんです。

映画に常に何らかのメッセージ性を求める人をしばしば見かけますが、私は必ずしも映画にメッセージ性が無くても良いと思うのです。ゆえに今回のこの「ムーンライト」の記事においてはメッセージ性について考えるつもりはありません。

ただ、シャロンとケヴィンが肩を寄せる、そこにある「普遍的な愛」に何を感じたか?そのモヤモヤとした思いだけを大切にしていただきたいと思います。この映画を見て、「愛」というのは・・・なんて語るのは野暮です。

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解説3:印象的な海のシーン

本作では「海」が非常に重要なモチーフとして登場しますよね。思えば、本作は海の音から始まり、海を前に立つシャロンの姿でもって幕を閉じますよね。

この点から考えても「海」というものが重要であったことは間違いないわけです。また第1章から第3章までそれぞれ印象的に「海」が登場しましたよね。

第1章ではシャロンがフアンと共に海に入っていくシーンがありましたし、第2章ではシャロンとケヴィンが夜の海で語らっていましたし、第3章ではケヴィンの自宅に続く道から海が覗いていました。

私が考えるに本作における「海」には、3つの役割があったのではないかと思うわけです。

悠久なる海

「ムーンライト」という作品が3つの章に分けて、シャロンの人生を描くという性格があることからも本作の登場人物というものは一つの作品の中でも大きく変化していくんですね。それは、もちろん年を取るということでもありますし、生活や社会状況、経済状況、人間関係、実に様々なものが1つの作品の中で目まぐるしく変化していきます。

しかし、3つの章の中で唯一不変のものとして描かれるのが「海」なんですね。イントロでリンクを貼らせていただいた「ムーンライト」の映像美に関する記事を読んでくださった方はご存知かと思うのですが、本作において監督をはじめとするスタッフが最もこだわった点の一つが「コントラスト」なんですね。ゆえに色彩的なコントラストを際立たせるとともに、こういった概念的なコントラストをも強調する役割が「海」にはあったと考える事ができます。

神聖なる海

第1章のフアンがシャロンを海に浸けるシーンなんですが、個人的な印象にはなるのですが、キリスト教的な洗礼儀式的な雰囲気を感じたのです。そのためもあって「海」に神聖なものという性格を感じたんですね。

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そしてこれは先ほど述べた「コントラスト」という部分においても非常に関わりのある点だと考えています。本作では、いじめや暴力、犯罪といった人間の汚い部分を非常に印象的に描いています。そういった人間の汚い部分と対比的に「海」は神聖なるものの性格を帯びているのではないかと感じました。

監督が本作の舞台であり自分の出身地であるマイアミを「美しい悪夢」と表現していました。それは海や熱帯の植物といった美しい植物に囲まれながら、犯罪率と貧困率が高いマイアミを私的に表現した言葉だと思います。そういった対照的なものが同居するマイアミという舞台を描くにあたって、やはり海は人間と対称のものとして描かれたのではないでしょうか?

与える者としての海

本作において、シャロンが何か大切なものを獲得するのは全て海のシーンだったということにお気づきでしょうか?第1章における海のシーンでは、シャロンはフアンから親からのそれに近い愛情を生まれて初めて知りました。

第2章の海のシーンでは、友情とそして恋の感情というものを初めて実感していました。第3章における海(海を臨むケヴィンの家)のシーンではケヴィンからの愛を受けました。

3つの章の重要な場面では海が登場し、その都度シャロンに新たな感情を与えるという役割を海が果たしていたのではないかと考えられるわけです。

そしてラストシーンは幼少期のシャロンと思われる子供が朝焼けの海を前に立っていましたよね。このシーンに対する僕の解釈をここで述べておきたいなと思うんですが、これは「生命」を与えるものとしての海を描いていたのではないかと思うのです。

第1章でフアンが最初の人類は黒人だぞということをシャロンに言っていましたよね。このシーンは海を前にしたシャロンと言うよりも、海を前にした黒人という性格の方が強いのではないかと考えているのです。

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だからこのラストシーンはすごく普遍性を帯びていて、「生命」と「愛」を人に与える海は変わらずそこにあり続けるし、それに寄り添って生きる人間の「生命」と「愛」の繰り返されて脈々と続いているということが示されているのではないかと考えました。ゆえに私はあのラストシーンでもってシャロンという一人の少年の物語が、一気に人類普遍の物語へと昇華されたのだと感じています。

解説4:「ムーンライト」とは何なのか?

皆さま、「月」はもちろんご存知ですよね。太陽の光によって輝きを放っている地球唯一の衛星です。月という衛星は自分から輝きを放つのではなくて、太陽の光照らされることで輝いているんです。

この点が本作の「ムーンライト」というタイトルを解釈するにあたって、重要なのではないかと考えました。

何が言いたいのかと言うと、月は自ら輝いているわけではないんですね。ゆえに月の光というのは、自ら放っているものではないんですね。

本作におけるシャロンは黒人であり、ゲイという性格を帯びています。それ故に周りから常に視線を浴びているわけです。そして注目されたいわけでもないのに、注目され、そしていじめに遭います。

彼自身は物静かな性格の一人の少年なのですが、周りが彼にスポットを当てるために、平凡に生きたいにもかかわらず、彼は注目の的になってしまうのです。自分から輝きを放とうともしていないのに、周りが輝かせるために彼は輝きを放ってしまうのです。

「ムーンライト」つまり「月の光」というのはそんなシャロンの苦悩が非常に良く表れたタイトルだったように思いました。

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考察:この映画は日本受けしないのではないか?

普段から当ブログを読んでくださっている方やツイッターで僕のアカウントを見てくださっている方はご存知かと思いますが、私は洋画よりも邦画の方が好きですし、鑑賞する頻度も高いです。

それを踏まえて、私の邦画に対するちょっとした批判をお聞きください。私が邦画の良さでもありながら最大の欠点だと感じるのは役者陣や演出がすごく大げさなことなんです。

何というかすぐに叫んでみたり、号泣してみたりと観客のお涙頂戴狙いなのがバレバレの映画を作りがちなんですね。昨年日本で公開された「怒り」という作品は確かに、国内で高い評価を受けましたが、私はあの映画があまり好きではありません。演技が全員オーバーすぎるんですね。出川哲郎やダチョウ倶楽部のリアクション芸でも見ているのかってくらいに大袈裟です。

もちろんそうでないも作品もありますし、海外の作品にも演技がオーバーすぎる作品は少なからずありますから、あくまでこういう傾向があるくらいのニュアンスで捉えてください。

私は最近の日本の映画というのが極めて映画っぽくないなあと思うわけです。小説ないし活字メディアにおいては、心情や状況を説明している文章から見えないイメージを作り上げていくという作業が必要になります。一方で、映画ないし映像メディアでは見えているイメージからそこに内包された心情や背景を読み取っていくという作業が求められます。

昨年公開された「怒り」のような最近の日本の映画はイメージを見せているうえに背景の説明をご丁寧に加えた挙句に、オーバーな役者の演技によって心情すらも独りでに説明してしまうんですね。こういった厚みの無い作品が近年多く目につくようになってきました。

そして、もう一つ嫌いなのが、「泣ける映画=良い映画」みたいな風潮があることですね。これは観客側がこういう映画を求めてしまっているという背景もあるのかもしれませんが、製作会社も宣伝段階で「泣ける」という点を非常にプッシュしてきますし、映画自体にも「泣かせる」ための演出やプロットが散見されます。これは間違いなく過剰演出・過剰演技の影響ではないかと思うわけです。

こういう背景があるゆえに、日本では「ムーンライト」みたいな映画は受けないんじゃないかと邪推してしまうのです。

熱湯風呂に入ったらオーバーリアクションを取るのが面白いと感じることが主流の文化であるところで、果たして熱湯風呂に入ってじっと耐えているその表情から熱いんだろうと推測していくところに面白さがあるこの映画が受けるんだろうか・・・。

「ムーンライト」は本当に淡々としたドラマで、主人公はあれだけ様々な苦難と葛藤に直面しているのに全くオーバーな演技を見せません。しかしその表情は静かに多くのことを物語っているのです。

ゆえにこの映画は日本ではかなり賛否両論になると私は推測しています。ただそれは悪いことでは決してないと思います。アメリカで絶賛されているからと言って必ずしも日本で絶賛される必要はありません。

しかし、こういった映画ないし映像メディア本来の性質と魅力を兼ね備えた作品が一人でも多くの方に理解されるようになってほしいという点と、「ムーンライト」のような映画が日本公開されることで徐々に邦画界にも良い影響を与えていってくれたらいいなあと思っております。

まとめ

映画大国アメリカが「世界よ、これが映画だ!」と言わんばかりの原初的な魅力を備えた映画を送り出し、そしてアカデミー賞作品賞を授与した点を本当に高く評価したいと思います。

見終わった後に「映画」を見たんだ!という満腹感をこれほどまでに味わえる映画もそうないと思います。

素晴らしい映画をありがとうございました。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

イントロでも掲載しましたが、こちらの記事で映像面に関してかなり詳しく解説しておりますので良かったら読んでいってください。

参考:【解説】映画「ムーンライト」なぜ映像がこんなにも美しいのか? 

またハリウッド映画界における黒人俳優の道を切り開いてきたデンゼル・ワシントンの強い思いが込められた映画『イコライザー2』をご紹介しておきます。良かったらご覧になってみてください。

参考:【ネタバレあり】『イコライザー2』のロバート・マッコールがデンゼル・ワシントンでなければならなった理由とは?

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

5件のコメント

「ムーンライトブルー」によって生まれた芸術性と核心にある「愛」の物語のリアルさ。対照的にも思える2つが共存したこの映画はドキュメンタリー的でもあり、ファンタジー的でもあると感じました。最後なんてどんな映画よりロマンチックだなと…
監督が「映画が心に染みるのではなく、観客自身が映画の中に沁みていく」とインタビューで言っていて、正にその様で良い意味でとてもあっさりしていますが、鑑賞後の圧倒的満足感や師弟愛、家族愛、友情、恋愛と溢れんばかりの愛が本当に美しさにとろけそうでした。
確かに三部構成の中での大きな転機の描写は無いんですよね!正にリンクレイター監督の瞬間の切り取りの様であるのは納得です。ちなみにマハーシャラアリは「リトル」だけの登場で観客にあそこまで印象付けるのは助演男優賞も頷けました!
個人的な考察なんですけど、フアンもゲイだったんじゃないのかなとか思ってます。というよりフアンもまたシャロンの様だった気がします。テレサの事を「俺の女」としか呼びませんし、シャロンに冗談を言うかの様に「お前の彼女」とか聞くとフアンとテレサの関係も色々曖昧なのかなと。
シャロンにあそこまで優しいのはフアンも同じ境遇であり、フアンにも師匠の様な存在の人が居たのかなと思いました。
第2章と第3章の間の少年院で何があって、人生の転機を迎えたのは分かりませんがフアンを真似る様にゴリマッチョになったり、帽子を被ったり、皮肉にも麻薬の売人にまでもなってしまった。つまりはムーンライトは無限に続く様な物語なのかなと感じました。
(続)

例えて言うならシャロンからフアンになる事が、自分が他人に見せたくない光り輝くムーンライトな部分を解放する事なのかなと…
実際、転機を迎えたシャロンは母、親友の子との過去を清算して、それぞれを良き方向へと運ばせたのを見ると、正にロマンチック的に走っていったのですからどこまでも美しいです。
ラスト。親友の子は奥さんと子供も居るから上手くは行かないし、あの後帰ったと思うんですけど、シャロンはまたシャロンと同じ境遇の子を見つけ、フアンの様な行動を取ることこそ究極の「愛」なのかなと…
長文ごめんなさい。

atsukiさんコメントありがとうございます。僕もフアンはゲイなんじゃないかなあと思ってまして、それを鑑みると逆にラストは親友と上手くいくラストになるんじゃないかなあと思いました。
親友のケヴィンはすでに奥さんと別れて養育権も奥さん側みたいですし、シャロンあのまま帰ったってことはないかなあと思います。
ゲイで、麻薬の売人になって、黒い帽子を被って、ようやく母親の愛を知って…とフアンと同じ道を辿ってきたわけですが、シャロンとフアンの違いはやはり同性との愛を見つけられたか否かで、あのラストシーンでようやく2人の道が分岐したのかなあと思いました。個人的な結論としてはシャロンはフアンにはならない方に向かうんじゃないかなあとラストシーンを見ながら思いました。
なかなかお腹いっぱいになる映画でした。あっさりしているようですごく深い作品でしたね!

映画観たはずなのに養育費の話聞きそびれてました…それならばラストは上手くいったかもしれません!
本当にあっさりなのに深みのある作品でした!
度々ごめんなさい。

いえいえコメントありがとうございます!!
養育権の話はレストランでケヴィンが子供の写真を見せた時にしてたと思います。

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